開かれたお寺、善光寺
今や私たちの生活の当たり前の存在といってもいいような、コンビニ。出掛けて、目にしないことはそうそうない気がします。そんなコンビニよりもお寺の数の方が多いこと、知っていましたか。現在、日本国内におよそ5.5万店あるコンビニに対し、お寺は7.7万寺以上。お寺は、意外と私たちのすぐそばにあるのです。
「誰にでも、開かれている」。岐阜善光寺の元住職である秀顕さんは、こう語ります。
伊奈波にある『善光寺安乗院』通称︰岐阜善光寺は、宗派を持たない“信者寺”です。お寺は運営により、檀家寺・信者寺・観光寺に分類されます。檀家と呼ばれる家単位での信仰者を持つのが檀家寺、信仰心とは無関係に観光客や修学旅行生が多く訪れ、地域一帯が観光地化されていることが多い観光寺は、清水寺や浅草寺が例に挙げられます。
そして、岐阜善光寺のような信者寺は、誰でも境内に入ることができ、自由に参拝できることが特徴。善光寺には門などもなく、とてもオープンな印象です。本堂の前まで進み後ろを振り返ると、隔てるものなく伊奈波通りをずうっと見通すことができます。
善光寺は、日本に宗派の区別がない時代に持ち込まれた仏像を祀ったルーツからなり、宗派を問わず自由に参拝でき、祈祷や祈願も行います。更に、岐阜善光寺では古くからの伝統を持つ“胡瓜封じ”の行事や、善光寺如来の縁日に合わせた月に一度の“善光寺まるけ”というマルシェを行っており、お寺としての役割が広がっています。
先代が戦死したことにより、長男である秀顕さんは「自分がやるしかない」という状況におかれました。秀顕さんの修行中は、お母様が代わりに住職の仕事を務めていましたが、あるお盆の時期に、お葬式の勤めをひとりで務めきったことをきっかけに、秀顕さんを住職として善光寺は新たな歴史を刻み始めることとなりました。
当初、兼業も考えていたという秀顕さん。檀家の減少や過疎化、後継者不足の問題を抱えるお寺業界の経営は簡単ではなく、兼業をする住職は少なくありません。そんな中でも、「兼業していては、お寺はあかんやろ」との想いを持ち、やるからにはお寺一本を貫こうと決意しました。
時代によって変化していく人びとのニーズに合わせつつ、これまでと変わらず開かれた存在としてのお寺の姿を求め続ける善光寺。そこには、お寺がお寺としてある強い志と、今を生きる人びとへの想いが溢れています。宗教や宗派に関わらず、森羅万象へ感謝する気持ちは、この開かれた善光寺で手を合わせるのに充分な理由になるのではないかと感じました。
○本堂の天井にある、前住職 秀晃さんが描いた家紋と、集会所の中にある“みんなで集う”の文字
0コメント